幼児教育の義務教育化の何が問題なのか

 先般、政府の教育再生実行会議で、小学校の入学以前の5歳児の義務教育化を検討課題とするという提案がなされました。幼稚園や小学校の機構上の問題もあり、すぐさま実行は無理ですが、幼児教育が国策レベルで議論の俎上に上がることは望ましいことと言えます。
 そもそもなぜ義務教育化なのか。
 現在の6・3制の見直しも議論されているのですが、5歳児へと早期化を促す理由は何でしょうか。むろん、すべての子どもに質の高い幼児教育を保障するという前提がありますが、背景のひとつにはすでに小学校入学段階で授業が成り立たない、騒ぐ、立ち歩くというような、深刻な「小1プロブレム」があります。また同じ幼児教育といいながら、園によってまちまちの教育の実態が、就学前の教育格差につながるという指摘もあります。
 政府は、幼稚園に小学校1年生のカリキュラムの一部前倒しも考えているようですが、ただ知的学習を早めれば効果が出るというものではありません。文科相の検討分科会では「子どもの発達が早まっているから就学を早めるというよりは、幼稚園で知を支える基盤を十分に作ってから小学校に上がるほうが望ましい」という意見もあったようですが、そこは私も同感です。義務教育化の議論と、小学校教育の早期導入とは意味が違います。
 では「知を支える基盤」とは何でしょうか。それは、あたまもこころもからだも全面発達する全人格的な発達であり、同時に幼児を評価や競争にさらすのではない、自らが打ち込むことのできる「あそび」でなくてはなりません。
 「知・情・体」三位一体の総合幼児教育は、我々が取り組んできた「深広の根っこ」の教育理念ですが、これもまた異種同居の幼児教育の世界では、「ひとつの流儀」でしかない。昔ながらの泥んこあそびや詰め込みの英才教育など、どれもまた一流儀であることに違いないのです。「知を支える基盤」そのものの合意や理解がまずむずかしいと言わざるを得ません。
 あるいは、来春から国で進められる「子ども・子育て新システム」も、質の高い幼児教育の提供という触れ込みはあるものの、実態がどこまで教育本位なのか、疑問も残ります。ここでは掘り下げませんが、子育て支援が教育の退行になってはいけないと思います。
 幼児教育とはこういうものと規格化することを勧めるものではありません。しかし、同じ理念や実践を推し進める中で、「知を支える基盤」とは何かを社会に問い直していかねば、結局幼児教育は種々雑多なまま共通の基盤を持ち得ないのではないでしょうか。
 その影響を一番受けるのは、子どもたちです。幼児教育の義務教育化の議論には、日本の幼児教育界の実力が問われていると思うのです。

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