日本式教育を輸出する。生かされている感覚。

 私のパドマ幼稚園に勤務する英語講師ウイル先生は、10年以上の教育歴を持ちますが、はじめて日本の学校教育を見た時、違和感をおぼえたといいます。たとえば、朝礼、ラジオ体操、掃除、運動会等々、子どもたちの集団が統率のとれた動きをする。現在ではニッポンの教育を理解できるが、当時彼の目には不思議な光景に映ったそうです。

 高い独創性とはそういうものですが、以前まで総幼研の集団教育に対する批判的な声もなかったわけではありません。大勢の園児が集団としてともに動く姿は、没個性的な一斉教育と見えるのでしょう。欧米人と似た感覚です。

 もちろん、世界にはいろいろな教育観があってよいのですが、所変われば、そういった教育に見倣おうという国々もあります。

 最近の報道に「『日本式教育』新興国へ」という記事がありました(8月31日読売)。来年度から政府は高い学力や規律を身につける小中学校などの教育を、高い関心を持つ新興国へ輸出するというもの。掃除当番や生き物係などの役割分担、学校給食、運動会や学芸会などの行事、全国一律のカリキュラムなど、インドやミャンマー、エジプトなどから照会がきているといいます。
 いま世界でいちばん進歩著しいUAE(アラブ首長国連邦)では、国の中枢が日本の「掃除教育」を国内に押し進めようとしています。「掃除教育」は日本独自のものですが、多国籍化の最先端にあるUAEの人々は、それによって育まれる調和力や協調性を評価しているというのです。豊富なオイルマネーを使って教育立国を目指す中東の国が、です。
 
 日本の教育は、欧米をモデルに近代化されました。戦後教育しかり、寺子屋教育を祖型とする「日本式教育」は、戦争の体験と相まってどうもイメージがよくないのですが、グローバル化が進む現代だからこそ、一度ほんとうの「日本式」とは何か、をきちんと見直してはどうでしょうか。
 紙幅の都合で、詳しくは書けませんが、一言でいえば「みなでともに生きる感覚」でしょうか。人間は独立自存しているのではなく、他者や世界とのかかわりによって生かされている。そういう感覚が、日本式教育には裏打ちされています。一体感、連帯意識といってもよいのですが、見かけの集団行動だけでなく、そこで育まれる一人ひとりのこころの発達こそ「日本式」の白眉であるといいたいのです。
 
 総幼研における教育実践も、「日本式」の典型です。集団、自律、身体、協働といったエッセンスは、新興国が未来のために今必要としているものなのでしょう。ある意味で、人間も同じです。生まれた間もない幼少期だから、まず「日本式」をしっかり身体に埋め込むこと。そうなれば一生モノです。それを根源として、自由や主体性や権利を愛する精神が養われるのです。

 昔はよかった風の「日本式」ではなく、今求められる「ジャパンオリジナル」をこれからも求めていきたいものです。

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