第2回 〈からだ〉と〈ことば〉の 対話のために。

『「こつ」と「スランプ」の研究身体知の認知科学』 諏訪正樹著 講談社選書メチエ刊

デカルトが物体と精神とを別個のものとして区別したように、しばしば私たちは、物体である〈からだ〉と精神のあらわれである〈ことば〉は別個のものと思いがちである。優れたスポーツ選手や武道家らがもつ身体知は、ことばで表すことのできない神秘的な知とされ、一方で哲学者や科学者らの高尚な思考は身体性を一切伴わない論理的な知として扱われ る。慶應義塾大学教授の著者が身体知について記した本書は、このようなデカルト的二元論、つまり〈からだ〉と〈ことば〉のどちらかに傾いてしまうことを注意深く退けていく。

身体知を育むために著者が提唱する「からだメタ認知」は、方法としては非常にシンプルだ。私たちの身体が環境と接することで生じる体感、たとえば坂道を歩いているときの体感を逐一言語化するよう癖づけ、他者とシェアするのである。足首にかかる「くわっ」とした感覚、ふくらはぎに生じる「ずしん」とした緊張感といったように。「くわっ」や「ずしん」はオノマトペ的ではあるが、このように言語化することではじめて、私たちは「くわっ」と「ずしん」が異なる体感であることを理解する。それは体感と言語を紐付けることで、自らの身体に対する感性を少しずつ研ぎ澄ませていく過程と呼べるだろう。〈からだ〉と〈ことば〉は切り離すべきではなく、身体知の獲得のためには両者の共創が欠かせない。

「身体知にことばは不要である」という偏見は根強い。ある実験によるとプロゴルファーは素人に比べて、自分がどのようにショットを打っているのか、説明する際の言語量が非常に少ないという。しかし、シャフト部分を変形させた「奇形パター」を使ってパットを行わせると、状況は一変する。プロゴルファーの言語量は著しく増加し、戸惑うばかりの素人を完全に凌駕してしまうのだ。つまり激変する環境に対して、プロゴルファーは言語による解釈を通じて、身体の使い方を修正することができる。身体知にとって、ことばは決して価値のない不要物ではなく、むしろ言語化できなくなるレベルまでことばとの結びつきを鍛え上げるべきなのである。

かつてスポーツ教育の世界では「ことばになどしない方がいい/ことばは邪魔になる」という理由で反復練習が流行ったという。次の記述は、総幼研教育にとって特に興味深い。「スポ根的な考え方は『身体が主』の考え方です。しかし、体感だけでからだを御せるほど、身体知の学びは易しくありません。反復練習には『やり方』があるのです。からだメタ認知のメソッドは、模索や工夫をしながら反復練習を継続する手法なのです」

秋田光彦

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