第3回 伝統教育の成果を重んじつつ、 新しい教育を吟味する。

「新しい学力」 齋藤孝著 岩波新書刊

2020年の学習指導要領大改訂が、すぐそこまで迫っている。体系的にまとめられた知識を記憶する力を基本とする「伝統的な学力」から、問題 解決型の能力を中心とする「新しい学力」へのシフトが、現場に求められている喫緊の課題であることは周知の通りだ。メディアでもお馴染みの教育学者である著者は、本書で「新しい学力」と「伝統的な学力」のよい形での融合を目指したという。こういった態度自体は、とりわけ教育界に影響の大きい哲学者であったジョン・デューイが、『経験と教育』などの著作で取り上げた問題意識を、誠実に継承するものといってよいだろう。

「新しい学力」を象徴する例が、「アクティブ・ラーニング」である。要領での使用は見送られたが、この意味するところは「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」であり、生徒自身の学びへの意欲や対話的な視点が重要視されている。 グループディスカッションとプレゼンテーションの訓練を通して、主体的に課題を設定し、積極的な発言によって対話を活性化させることが求められるわけだ。
一方で、「新しい学力」には落とし穴も存在するという。どうやって生徒の議論を評価するのか。新しい指導法を教師が実践できるのか。最悪の場合、質の低い対話がだらだらと 続くようなことに陥らないか。著者は 「アクティブ・ラーニングとは、なによりも学ぶ側の意識が活性化しているということを指すのであって、学習 手段そのもののことではないはず」と警鐘を鳴らす。

そこで提案されるのが、伝統的な学力が求める教育と、新しい学力が求める教育を融合させる第三の道だ。たとえば、福沢諭吉やドストエフスキー、デカルトやニーチェといった 古典的名著を読み切った上で、生徒にプレゼンテーションをさせる。難解な本を読み通した経験を共有することで、一人ひとりが質の高い「自分の問題」を見出し、他者とのディスカッションを通してそれを深めることができるのである。ただ自由に対話すればよいというのではなく、古典という「型」を通して偉大な人格に触れることこそ、全人格的な強さの取得 につながるのだ。

もちろん、指導法だけが重要なのではない。吉田松陰の松下村塾においても、「古典を現代に活用する学習スタイル」は効果的に取り入れられていたが、何よりも松陰自身の情熱に よって、塾生たちの主体的な学びは活性化したという。著者のことばを借りれば、「教師自身が新しい世界への憧れを強く持つことによって、憧れの模倣が行われる」のだ。憧れを強く保ちながら、伝統教育の成果を排除することなく、新しい教育へ向けた試行錯誤を怠らないこと。私たち総幼研もまた、そのようにありたいものである。

秋田光彦

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