子どもの代弁者たれ。
日本初の「こどもホスピス」の挑戦。

2022年2月公開

公益社団法人 こどものホスピスプロジェクト 副理事長
原純一さんに聞く

大阪市の北東、花博記念公園鶴見緑地。この一角にプールやグラウンドといった地域住民の憩いの場に抱かれるように「TSURUMIこどもホスピス」はある。

日本ではじめてのこどもホスピスである。一般にホスピスと聞くと、終末期医療として緩和ケアを行う病棟であり「看取りの場」というイメージかもしれない。だが、ここは違う。

生命を脅かす病気を持つ子どもたちでも、友だちと遊んだり、勉強したり、お泊りしたり……そんなあたり前にも思える経験ができる場所。子どもたちの「やりたい」を「できた!」に変える場所である。

「僕たちがいうホスピスは、医療行為はしないんです。おうちの代わりです」

小児科医で副理事長の原純一さんは語る。医療者として、このプロジェクトの理事として、子どもたちとのかかわりの中でたいせつにしていること、また設立をめぐるこれまでの経緯を伺った。

小児科医として、昔から「こどもホスピス」の構想はお持ちだったのでしょうか。

小児科医といっても、僕は小児血液腫瘍科です。2005年に大阪市立総合医療センターに来たんですけど、その前は大阪大学にいて、一貫して小児の悪性腫瘍……癌、白血病、脳腫瘍などを専門にやってきました。そういう人間です。

子どもの癌は、大人に比べて治る確率は高いといわれてますが、それでも治るのは7割ぐらい。3割の子どもは亡くなってしまう。何とか10割にしたいと、がんばってがんばってやってきましたが、理論的に考えると10割はやはりあり得ない。

で、ずっと、鬱々としてましてね……けど、ふと閃いたのは、その3割の人たちは治すのは不可能だとしても、幸せな人生を歩んで、幸せな死に方をすることはできるんじゃないか。それを僕たちがお手伝いできるとしたら、医療としての成功を10割にできるんじゃないかということでした。

それが緩和ケアの原点なんです。それからは、どうしたら有意義で豊かな人生を送ることができるかという、そのための医療を模索してきました。ですが、そのレベルになってくると、病院でできること、必要とされることはごく一部なんです。なので、それは民間セクターの仕事ではないかと、ずっと考えていました。

そんな時に、いまは総合医療センターで緩和ケア科の部長をしている多田羅竜平医師 ※1が、日本で「こどもホスピス」を広めたいといい出したんです。それがきっかけでした。

彼は、当時、新生児科医だったんですが、イギリスの小児緩和ケアの大学院に留学した折に、イギリス全土にあった「こどもホスピス」に影響を受けたんです。

こちらの「TSURUMIこどもホスピス」は一般的にいうホスピスのイメージとはだいぶ違いますが、それでも「こどもホスピス」と名付けた理由はなんでしょうか。

日本で「ホスピス」というと、緩和ケア病棟しかないんです。それは保険制度、医療制度の中で正式に位置づけられた終末期医療としての組織です。

でも僕たちがやってる「ホスピス」は、医療行為をしません。はじめ、色々議論があったんですが、それでも医療行為はしない。家、おうちの代わりであるとしました。必要な場合は訪問診療や訪問看護をいれる。

ここは、子どもの「やりたい」を「できた!」に変える場所としようと。友だちと遊ぶ、勉強する、家族とゆっくりする……そんなあたり前の経験をしてもらう。だから、僕も職員もここでは子どもの友だちなんです。僕は病院では医療者と患者だから一線を引かなきゃならない。でもここに来たら友だちとして、一緒に思いっきり遊べる。楽しいですよ。ここのよさです。

はじめに名前をつける時、ホスピスなんてつけたら、イメージが悪いから利用は伸びないだろうと思ったんです。でもね、日本で「こどもホスピス」という名前への抵抗をなくしたいと思って、あえてつけました。アレルギーをなくして欲しい。「ホスピス」「ホスピス」といってるうちになんとも思わなくなるだろうと。

実際、皆さんここに来て、なんだかんだしているうちに平気で「こどもホスピス」っていうようになりますね(笑)。

ですが、最後まで病院での治療を望む親御さんは多いのではないでしょうか。

よくいわれるのは「治療を諦めたらあとで後悔が残る」ということば。でも、それは単なる想像なんです。僕たちは現実を知っています。いつも職員にはいいますが、患者さんあるいはその家族にとって、これから起きることは全て想像でしかない。その後のこと、現実を知ってるのは僕たちだけだから、それをきちんと伝えないといけないんだと。

最後の時間を有意義に使った家族と、最後の最後まで病院で子どもが苦しみながら亡くなっていった家族。遺族の後悔が少ないのは、当然前者なんです。それを僕たちは経験で知っている。

親が「あと少し何か治療できるんじゃないか」と、治療を継続させる。それは親のための治療をすることになる。子どもにとっては、虐待に近い。

とにかく、子どもの気持ちをたいせつにしてあげたい。どこまでも、「子どもにとって」なにが一番大事なのかを考える。それしかないんです。

子どもにも病気について伝えるのでしょうか。

基本的には、死ぬかもしれない病気だっていうことは伝えます。だから、がんばって治療をしようと、みんなで治そうと。

がん治療は、ものすごく副作用が強いんです。そんなもの、正当な理由なく我慢できるもんじゃない。でなかったら、毛は抜ける、吐き気はする、めちゃめちゃしんどい……それを正当化できますか? 死ぬかもしれない病気だ、ぐらい聞かされてないと納得できませんよ。でも聞いてれば、しんどくてもがんばろうと思えるわけですよ。それをきちんと伝えなかったら、途中で治療拒否になったりして当然です。

子どもに対して、とにかく嘘をつかないこと、子どもの立場になって考えることが大事なんです。たとえば、再発して治療をはじめる時は、治療がうまくいっていないということは子どももわかります。子どもから質問されたら正確にはこたえるけど、まず質問してこない。おそらく、聞きたくないっていうのが大きいんだろうと思います。生か死か、不確かであることが大事なんですね。

もし「あとどれぐらい生きられますか」みたいな質問があったとしても、正確にこたえちゃいけないんです。「どれぐらいかわかりませんね」が正しいこたえです。「あと3ヵ月です」といったら、カウントダウンがはじまっちゃう。世の中、曖昧な方がよいことの方が、多分多いんです。

「こどもホスピス」は、そういった3割の子どもたちが残りの人生を幸せに送るための施設なんですね。

いえ、だけではないですね。はじめ病気が見つかった段階では、助かるかどうか、つまり3割になるのか7割になるのかは、わからないわけですよ。子どもにしたら、死ぬかもしれないという恐ろしい状態が続く。だからそういう病気の子は全員対象です。

それと、ファミリーディジーズ……家族病です。病気の子どもを持ったご家族の中には、介護のストレスで潰れてしまったり、精神を病んでしまったりする方が少なくありません。そこにも対応する必要があります。

ただ、小児科医として大きな反省がひとつあって……それは、自分自身の労力を親御さんにかけすぎたということです。たとえば、ベッドサイドに行くと、話をする相手はどうしてもお母さんになってしまう。ではなくて、もっと子どもと話すべきだったと。こどもホスピスでも、親御さんとの話が増えてしまうんですね。だから、ここでは子どもに注力しようと、みんなにいっています。

極論をいえば、親というものは、子どもが楽しそうにしているだけでいい。とにかく子どもをハッピーにしてあげるということが親のケアにもなると。

2階の部屋は、少し上の世代の子どもたちのためのものと聞きました。アート部屋や友だちと泊まれる部屋などいくつもありましたが、AYA世代 ※2と呼ばれる中高生向けですね。

AYA世代は、なかなか来ないんです。あの世代って「どうなん?」とかいっても「別に」としかいわないでしょ(笑)。「将来何になんの?」「わからん」とか。そのくせ、何かかまって欲しいみたいな。

だから自分たちの興味があることだったらくるんじゃないかということで、あれは呼び寄せるためのエサです(笑)。

がんの治療って発生頻度的にいうと稀ですから、そんな子、学年に他にいないじゃないですか。だから非常に孤独なんです。友達がいても、どこか違う。それが一生続くんです。

だからここで仲間をつくって欲しい。同じ境遇の友達をつくって欲しい。そうすれば、家に帰って離れても、時々会う関係性が続けば自分だけじゃないという気持ちを持てる。いわゆるピアサポート ※3ですね。だから2階の部屋は、それを目標としているわけです。

「TSURUMIこどもホスピス」で特に印象的だったエピソードを教えてください。

僕が病院で診ていた2歳ぐらいのお子さんで、「もうむずかしい」となったんです。ご両親との話の中で、残念ながらもう長くは生きられません、と。当然、暗いじゃないですか。

だけど「こういう場所がある」「死が訪れるまでに、いままで経験してないことをひとつでも経験させてあげましょう」「それが目標になりますよね」と話した途端、ご両親が顔を上げてほんとうに表情がパッと明るくなったんです。あれは印象的でした。それでここへ来て、水遊びとかビニールシート引いてピクニックとか、生まれてはじめて経験して……それがはじめてで、人生で最後になったんだけど。

僕は、その子と病院でも会ってる。そしたらここでは、いままで見たことないような笑顔を見せてくれたんです。病院ではそんなの見たことない。それを見るだけで僕たちも幸せなんです。「この子、こんな顔するんだ」って。お母さんも手作りのお弁当を持ってきて「だれが食べるの?こんなに?」って量をね。ほんとうに、お母さんの気持ちがこもってて、すごかったなぁ。

場の持つエネルギーがそうさせるんでしょうか。病院のような病気の影や死の影がどこにもないですよね。穏やかな家の雰囲気が感じられます。

かもしれません。でも、それはそれでいいのか? という思いもあるんです。そんな能天気なもんじゃないよねと。ここは、追悼できる場所でもあって欲しいと思っているんです。だれでも好きな時に来て、手を合わせることができる場所。でないとホスピスじゃない。死んでしまった子どもたちを悼む場所でもありたいと思うんです。いま、それに向けて計画を進めているところでもあるんですが。

それはね、実は僕たちにとっても、そうなんです。いわゆるバーンアウト(燃え尽き症候群)していくスタッフに対しても、癒しや祈りの場が必要なんです。イギリスのホスピスに行くと、亡くなった子どもの写真が壁一面に貼ってあったり、庭の石に亡くなった子の名前が一個一個彫ってあったりもする。死んだ子もたいせつにされてるんだっていうメッセージが必要だと思っています。

どこまでも、子どもをたいせつにするということなんですね。

小児科の有名な教科書の1ページ目に書いてあるんですけど、子どもって自分たちで権利とか意見とか主張できないじゃないですか。だから、僕たちがその代弁者であるべきなんです。子どもにかかわる人たちが代弁者にならなくて、一体だれがなるんだと。

親というのは、代弁者である期間が短いんです。子どもが大きくなると、そういう感覚が薄くなる。だから継続して代弁者であり続けるのは、職業的にかかわってる人たちの役目なんです。当然、これを読んでいる保育の先生であるとか、教育関係者、僕らみたいな医療関係者というのが意識して代弁者になっていかないと駄目だと思います。

医療界自体、子どもの人権というのものを真剣に考えてない気がします。いまは、少子化とかいってますけど、ヨーロッパ、特にフランスでの出生の半分は婚外子です。多様性を認めているんです。

日本では保守政権がそういうの認めてないじゃないですか。子どもへのお金を払わない。「家族制度をたいせつにする」……それは子ども目線とは違いますよね。シングルの子どもだっているんです。そこを、もっと手厚くしないといけない。

結婚してないけど子どもは欲しいっていう女性はいっぱいいるでしょう。そういう人への制度をつくるべきです。少子化解決の鍵ってそれしかないんじゃないかって思います。5千円配って、だれが子どもを産むっていうんでしょうかね(笑)。

最後に、これを読んでいる保育の先生方に、メッセージをお願いします。

子どもたちが、みんな元気にしてるっていうのはたまたまなんです。少なくとも僕にはそう見えてしまいます。いつなんどき皆さんのクラスの子どもが同じような立場になるかわからない。あるいは事故なんかで後天的障害児になることもある。そういうことを先生方一人ひとりが我がことのように思っておいて欲しいんです。自分とは関係ないと思って欲しくないんです。

確率的には、毎年10万人に1人が発症します。累積で考えると、10年で10万分の10、つまり10年で1万人にひとり、20年で5千人にひとりが発症します。そんなに低い確率ではないですよね。

そう考えて、子どもたちとの時間をたいせつにしてもらいたいと思います。
それと先ほども話しましたが、先生方には常に「子どもたちの代弁者」であって欲しい、そう望みます。

 

※1 多田羅竜平医師…英国で小児病院を中心に緩和ケアを学び、現在は大阪市立総合医療センター緩和医療科部長兼緩和ケアセンター長として、診断時から看取り期まで緩和ケアの診療を行う。公益社団法人 こどものホスピスプロジェクト、常務理事。

※2 AYA世代…Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の頭文字をとったもので、主に、思春期(15歳~)から30歳代までの世代を指す。がん医療において用いられる。

※3 ピアサポート…同じような立場や境遇の人が、互いに支え合い、助け合うこと。

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