AI時代に、総幼研を「言語化」する。

■ 通用しなくなった暗黙知
世間がすっかりAI一色になっているのに比して、私の感覚ですが、保育界はおしなべて静かにこれを受け止めているように感じます。もちろん付和雷同はしない、確たる信念があるからでしょう。私たちが向き合っているのは人間の発達そのものであり、保育は一時の流行ではなく、人間形成という普遍的な課題を扱っているという自負でしょう。私自身もその考えに同意です。
しかし一方で、社会は確実に変化しています。学校はもちろん家庭の姿さえ多様化し、将来どのような力が求められるのかも見えにくくなりました。かつてのように「こういう子どもに育てばよい」という共通理解は弱まり、教育そのものが相対化される時代になっています。幼児教育も同じです。
AⅠ時代とは、ある意味で「言語化の時代」でもあります。かつては経験や勘、園の雰囲気として共有されていた価値も、今はことばとして説明することが求められます。保護者も職員も、「何をしているか」だけでなく、「なぜそれをするのか」を知りたいと考えています。この保育にはどんな意味があって、どんな子どもが育つのか等々、AⅠ時代とは、言い換えれば、暗黙知が通用しにくくなり、言語化された知が優位になる時代のことなのです。

■「言語化」に最適のハンドブック
総幼研も同じ立ち位置にいるのではないでしょうか。
理念も実践も普遍であって、変わりはありません。しかし、それをどう伝え、どう表すのか、保護者や職員に対する「言語化」は、時代に応じて磨いていかなければなりません。「見ればわかる」「経験があるから間違いない」ではなく、これからの社会を見通した人間の姿を描いていくのです。
例えば総幼研が長年たいせつにしてきた「動き・ことば・リズム」は、単なる活動の方法ではありません。身体を通して世界と出会い、ことばを通して他者とつながり、リズムを通して共同体の中に生きる。その根底には、人間は人とのかかわりの中で育つというたしかな人間観があります。共感する力、協働する力、他者を思いやる力を育てるという教育の原理は、AⅠでは決して代替されることのない、総幼研の「強み」です。
その「言語化」の最適の素材となるのが、今回改訂された総幼研ハンドブックです。
ただわかりやすくことばをかえた、内容を整理しただけが、改訂の成果ではありません。何度もお伝えしてきたことなのでくり返しませんが、総幼研の教育原理を改めて確認し、それぞれの園が自園の教育を見つめ直す契機をつくりだすことが至上のねらいです。
また同様に、総幼研の意味を、職員や保護者に語っていく立場にある園長先生が、上記に挙げた問いに向き合い、新たな「言語化」を紡ぎ出す最適の媒体であるということです。このハンドブックこそその貴重な手がかりとなるものです。
ある園長先生からこんな話を聞きました。
「うちの園では、毎朝ハンドブックの一節を私が読み上げています。担任らも読み合わせをやっています」「先生たちからは、改めて納得できた、声に出して読むことで保育のイメージが湧いた、そんな声が上がっています」
理念は掲げるだけのスローガンではありません。これを読み返し、自らの実践に照らし、自分の身体に埋め込むことができてはじめて、意味が獲得されたことになります。その先頭に、園長先生が立っておられるのです。感服しました。