紙は滅びない。「身体で読む」経験。

■デジタル教科書の登場
子どもは人生の最初期において、手のはたらきを総動員して文字に出会っていきます。指で紙の上をなぞり、文字を指す。絵本であれば本を手に持って(支えて)、ページをめくっていく。私は今でも読書の際は、重要な箇所にマーカーを引きながら読みますが、それも指先の延長として使っているのでしょう。つまり本やテキストは、常に紙に作用する手の感覚によって読み進められているといえます。
文科省が2024年から、小学校へデジタル教科書の導入を目指しています。その効果はまだ検証中とのことですが、せっかく大半の学校に端末を支給したのだから、学習にもイノベーションが必要だというところでしょう。デジタル教科書であれば、動画や音声の再生や書き込みや保存が簡単にできる。教員にしても、学習ログを残して学力分析に利用できる。メリットは無尽蔵のようにも思えます。
教育現場に慎重論がないわけではないのですが、このままいくと学校ではタブレット、家に帰ればスマホ漬けという、ペーパーレス化が加速しそうです。すでにデジタル絵本や教材が人気だそうですし、そのうち幼児期からタブレット学習という園だって出現することでしょう。教育において、紙は消えていく運命なのでしょうか。

■読むことの身体性
最近、ペンシルバニア大学教育学大学院言語教育学部バトラー後藤裕子教授の「デジタルで変わる子どもたち〜学習と言語能力の現在と未来」(ちくま新書)を読みました。動画やテレビの乳幼児への影響や、デジタル時代の言語能力など示唆に富む内容なのですが、その中に1章丸々さいて「デジタルと紙の違い」が詳しく説かれています。
興味深かったのが紙の媒体が持つ「対話性」(インタラクティブ)であり、子どもが指差ししたり、私がマーカーを引くように、「テクストとの対話」において、デジタルを凌駕するという指摘です。これは紙の読書の身体性、物理性と深く関係しており、「読みのパフォーマンスを上げるためには」「目よりも、手の動きを重視している」こととも重なります。
総幼研の教材は、当然ながら紙が基本です。音読読本、漢詩集、あるいはプリント教材など紙を配り、紙を貼り出し、紙に書いたり、指差したり、そして紙を綴じたりします。何ともアナログなのですが、それを子どもの読むことの基礎的な身体経験として考えれば、その重要性が際立ってきます。同書の中にもありますが、音韻認識、文字知識、単語の読みなどのレベルで、紙とデジタルに差はなく、読解力にいたっては物にもよるが紙の優位性が認められるとありました。紙は、滅びないのです。
小学校からのデジタル教科書の可否を私は論じる立場にありません。ただ早晩そうなるのであるから、就学前の教育において、紙と手の作用、あるいは運筆は基本中の基本でしょう。そういう所作を一種の技法として、幼い時に身体に染み込ませておく必要を痛感するのです。
保育のICT化は必然です。保育者も保護者も、ゆめゆめ「身体で読む」経験を消し去ってはならない。そう思います。

 

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