時間の主人公は、子ども。 発達のプロセスに寄り添う。

■タイム・パフォーマンスとは
コスパならぬ「タイパ」ということばをはじめて聞きました。「タイム・パフォーマンス」の略語で、時間を効率よく使うことをいうそうですが、これがテレビドラマの早送り視聴のことだとは初耳でした。
最近よく読まれている『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)という本によると、若者たちは配信ドラマや映画を倍速や10秒飛ばしで見るのが日常的だそうで、中には連続ドラマを結末から視聴する人も多いといいます。長いドラマをタラタラ見ているのはタイパが悪いそうですが、何をそんなに急ぐのでしょうか。
SNSもそうです。TwitterとかLINEとかTikTokとか、ごく短い文章や短い動画で、なるべく時間を使わずに素早くコミュニケーションすることが基本スタイルになりつつあります。一読すれば、一目見ればすぐわかる、そういう「面白さ」「わかりやすさ」だけが強調され、小難しい本や映画は敬遠されていくのでしょう。
昭和世代にはついていけない話ですが、しかし、振り返ってみると私たちの周りにも「タイパ」はあふれています。買い物も食事もクリックひとつでオンライン注文、面会も会議もZoomで済ませ、一駅分の距離にも車を使う。店に行けばファストファッションにファストフードと、私たちの生活環境も、すでに「タイパ」に埋め尽くされているのです。

■時間効率だけに流されない
人類が営々と築いてきた技術革新や情報革命とは、結局、人間が時間を自分本位に動かす、時間を思い通りに支配することを目標としてきました。時間のかかる不合理なもの、混沌としたものを「前近代的」と切り捨ててきたのです。では、こと保育の世界において「タイパ」はあり得るのでしょうか。
最近は園の周囲にも色々な時間効率が浸透してきました。ICTの活用がその典型ですが、パドマ幼稚園でもデジタル化によって業務改善や時短が格段に進みました。コロナによってそれらが加速した感もあります。
その効果を十分に認識しながらも、申し上げておきたいのは、保育における目的が時間効率だけに流されてはならないということです。社会がどれほど「タイパ」を進めようと、子どもの発達のプロセスを時間飛ばしで促すことはできません。逆に、その育ちの長い道のりを、じっくりと時間をかけて見通していくということが保育の要諦でしょう。「保育の質」向上のために、何を効率化して何を重視するのか、そのバランスが問われています。
ICTはそのための方法であって、方法と目的を取り違えてはならないのです。パドマ幼稚園では、行事の様々な改革を行うことと併行して、試行錯誤ながらInstagramの毎日配信をはじめています。これも保育の過程を新しい手法で開示していく試みであります。
時間の主人公は絶えず子どもです。思い通りに動かすことはできません。時に理不尽もあれば矛盾もあるでしょう。それも含め、発達のプロセスに寄り添い、共感・共鳴・共体験をくり返していく。それだからこそ保育者は、子どもと共に生きる喜びに感応することができるのです。

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