AI時代の急加速、幼児期に「何を」育てるか。

■日案も週案もAI任せ?
瞬く間に世界の話題をさらった対話型AI「ChatGPT」ですが、教育界も最先端テクノロジーに遅れじと、躍起の感があります。
文科省は夏までに学校現場での方法や注意点をまとめた指針を作るとか、また東大などが参加する日本ディープラーニング協会はすでに利用ガイドラインを発表しています。文字通り猛進の勢いで改革が進むことでしょう。
児童や生徒には使わせるな、子どもの学習能力が劣化する、という根強い警戒論がありますが、海外に比べ規制の緩い日本において、一般への浸透は時間の問題でしょう。学校で「使うな」といわれても、家庭や塾ではすでに経験済みかもしれません。
園ではどうでしょう。現時点ではすぐさま保育に実用されるとは考えにくいですが、保育者の実務では、様々な活用法がありそうです。日案や週案の作成から合奏の編曲、絵画造形のパターン制作や「5月の3歳児に最適な読み聞かせの本を教えて」というような相談にも素早くこたえてくれます。熟練度や経験値が必要とされた分野に、AI知能が活用されることになる。ICTの10倍以上のインパクトです。
日々状況変化が著しいので、素人の私がこれ以上のことを申し上げるのも憚れるのですが、幼児教育に限って考えるならば、この対話型AIの登場は、「保育の質」についていくつかの重大な認識をもたらします。3つあります。

■主体、創造、身体感覚
ひとつ目は子どもの主体性についてです。対話型AIは先生や親からやらされる勉強ではなく、子ども自身が興味や好奇心を向けたりすることを主体的に追究していくツールとして有効なようです。わかりやすくいえば「自分の関心事に向けて」「問いを立てる力」であり、それをAIと対話しながら掘り下げていくことです。知識の量よりも、自分でやりたい目標や課題を見つけて追究していく力が重要になるでしょう。
2つ目は創造性です。AIは絵も描くし(画像生成)、音楽も作ります(自動音楽生成)が、そうした「結果」ではなく、作り出すための直感や発想、自由なイマジネーションは、AIには回答できません。ある意味で、テクニックや表現が高度化するほどAI化されやすいとしたら、人間の原初としての幼児期に芽生える創造的なプロセスはさらに重視されるものとなるでしょう。
3つ目が身体感覚です。リアルな体験やリアルな空間がないところに、人間の発達はありません。早期にAIにふれさせるより、テクノロジーが究極化するほどに、人間のプリミティブな経験として身体感覚の涵養が重要となります。
少子化が加速し、「個別最適化」が極限化されるほど、体験を個人に閉じるのではなく、好ましい集団とのかかわりによって意図的に作り出していくことでしょう。ともに歌い、ともに走り、またともに考えるのです。
すでに数年後には、AIが人間の知能を凌駕するシンギュラリティが到来するともいわれています。小学校以降の学びや生活の場でそのような社会に生きることになるであろう子どもたちの、「何を」在園期間中に育てていくのか、これまで以上に問われる時代になったと感じています。
「わが子をチャットGPTを使いこなせるためには、小さな頃はサルとして育てる必要があります。(中略)原始的な体験を積むことが大事」(AI研究者 新井紀子教授)なのであれば、だからこそ総幼研教育の役割は大きいと思います。

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