情操教育は、子どもにおもねる教育ではない。

幼児教育の要は情操教育である、という説に反対はありません。情操教育とは、「暗記偏重の知識の教育に対して、感情や情緒を育み、創造的で、個性的なこころの働きを豊かにするための教育、道徳的な意識や価値観を養うための教育」ですから、これこそ人間性の根っこの教育、総幼研の教育もそれに適合することに異存はありません。

しかし幼児期の情操教育といえば、一般に何を連想するでしょうか。有名な童話を残酷だからと、あるいは古語を使った唱歌が難しいだろうから、「子どもを思って」、改変されてきた例は枚挙に暇がありません。アニメのキャラクターを使った絵本が、情操教育の教材として推奨されるのが現実で、情操とは、わかりやすく、楽なものだから、それ故、奇妙な迎合主義に陥っていないでしょうか。少々曲がった言い方をすれば、現代の情操教育とは、大人が子どもへ干渉を繰り返しながらおもねった結果ということもできます。

かつて、新聞にこんな一文が載せられていました。『種をまくのが情操教育』という論評です。

「子供に理解できないことは教えないという風潮が強まった(中略)。正しいことは理屈抜きで正しい」と教える教育は既に見られなくなり、代わって子どもにおもねる教育が広がった。(中略)子どもが理解できようができまいが、いいものは無理にでも与えるのが大人の責務だ」また筆者は、高齢者や認知症の人たちが随分昔に習った唱歌をいつまでも愛唱することを挙げて、「歌が頭ではなく心に入っていくものだからだろう」とも述べています。

情操教育とは、けっして平易で楽なものを言うのではなく、難解であっても美しく心に沁みる、そしてその人の生涯を支える価値となるような本物の教育というべきものでしょう。

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