合奏がもたらす、協働することのよろこび

 総幼研の園の先生へ。年度末の今頃はどこの園でも発表会シーズン。歌や器楽の合唱・合奏のコンサートが行われます。わたしのパドマ幼稚園でも先週、年に一度の音楽リズム発表会を開催、園児たちは学年ごとに日頃の活動の成果を熱演してくれました。
 合奏にも、合唱にも「合う」という文字がつかわれますが、それはただ揃える、重ねる、という単純な意味ではありません。折り紙を重ねれば、下は上に隠れてしまいますが、合奏の子ども一人ひとりの存在感はかけがえのないものです。
 そもそも合奏の起源は、中世ヨーロッパに求めることができます。地続きの大陸では、隣国どうしのいさかいや対立が絶えなかった。異なる民族、異なる言語、宗教では、互いを理解することが難しかったのですが、それを器楽の合奏が溶解していきます。一人ひとりは違っても、ともに同じハーモニーを奏でることでひとつになれる。それが、合奏がもたらした奇跡だったのです。
 子どもも同じです。例えば100人の二人三脚を連想してみてください。ただ歩調を合わせるだけではない、姿勢を合わせ、呼吸を合わせ、心を合わせて、「みんな」という生き物をハーモナイズしているのです。ひとりはみんなのために生きている、そしてみんなはひとりのために生きている。今回の合唱、合奏にも、学年という「みんな」が見事に立ちあがっていたのではないでしょうか。
 そして大事なことは、その「みんな」とは、クラスの友だちや先生との日々の暮らしの中から紡ぎだされたものであって、音楽の特訓があったからではけっしてないということ。入園、進級して一年のあいだ、一日一日育まれていった、これが園という集団の力、仲間とともに協働することのよろこびなのだ、と思います。

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