悲しみを歌う、ということ。

 去る10月15日、台風一過の秋晴れの好日、総幼研会長・パドマ幼稚園学園長 秋田光茂の逝去を悼み、各方面から600名の方々にパドマ幼稚園での学園葬にご参列いただきました。
 大蓮寺、幼稚園、さらに應典院の3つの施設が開放され、パドマ幼稚園、総幼研、創教出版、應典院の各職員が総勢でお世話をさせていただきました。
 学園葬の白眉は、やはり年長の子どもたちによる献歌でした。会長先生が大好きだった「夕焼け小焼け」と「今日の日はさようなら」の歌声は、大勢の参列者の胸を打ったことと思います。

 秋田会長……ここからは敢えて「父」とよばせていただきます。
 音楽が大好きな父でした。カラオケもよく歌いましたが、晩年は幼稚園の教室を巡回しては、合唱の指揮を取るのが無二の愉しみにしていたようです。そばに仕えていて実感するのですが、父にとって音楽は教育活動というより、生きるすがたそのものではなかったかと思います。
 学園葬の日、子どもたちは恐らく初めて、愛する人を喪った悲しみの場で歌う、という体験をしたことと思います。ふだんの教室や舞台で歌うものは、よろこびであり、楽しみであり、大人もみな笑顔で受け止めてくれるものです。しかし、この日は先生も参列者も表情が沈み、彩りも華やかさもない。いつもと違う何かを、小さな胸に感じてくれたと思います。
 人類の歴史で、言葉より先に生まれたものが、音楽でした。今のように誰かを楽しませるための音楽ではなく、人間は原始にあって内面の発露を「音楽なるもの」に託したのでしょう。よろこびや楽しみもあったかもしれないが、歌の最初のすがたは、別れであり、悲しみではなかったのか。どうにも癒されないものを、人々は歌に預けて、彼方へ送ろうとしたのではないでしょうか(お経もそういう「歌」のひとつです)。学園葬の献歌を聴いて、私はふとそのことを思ったのです。

 父は9才の時に母親を亡くしています。男4人兄弟の末っ子の父は格別に母親に溺愛されたそうです。音楽好きな母親でした。戦前の話ですが、お寺には蓄音機があって、クラシックのSPレコードをよく聴かせたそうです。甘えんぼうの父を膝の上にのせて、母はよく歌を歌ってくれた。そう話していました。
 父がずっと抒情歌や童謡を好んだのは、少年の頃死に別れた母親との美しい思い出があったからだと思います。

 音楽は生きるすがたである。人生にはよろこびも悲しみもあるように、歌にも多彩な表情があります。幼児にとって、死別の場で歌を歌うという体験は、そのまま心の深いところで、生きる意味を教えてくれている、とそう思うのです。
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