届くべきことは届いている。ことばが光る幼稚園。

ことばが光る幼稚園、というのはパドマ幼稚園のたいせつなキャッチフレーズです。名言名句に親しむというところもありますが、いちばんたいせつなことは、教師が心を込めてことばを語りかけているか、ちゃんと子どもに届いているか、意味ではなく、ことばの熱量のようなことだと私は考えています。

そういう私も、率先して月に一度の仏参では、子どもたちに語りかけるようにしているのですが、年長児のある子どもからすてきなこんな贈り物をいただきました。

年長児には毎月1回、パドマ幼稚園の発祥である大蓮寺の本堂で仏参と私の法話の時間が定期的に設けられています。1学期には、子ども時代にこそ知っておいてほしい日本語を取り上げ、6月には「もったいない」について倹約と精進の話をしました。どの子も真剣に聴いてくれて、その後クラスではひとしきり「もったいない」の連呼があったそうです。

夏休みが明けました。よほど印象深かったのか、あるクラスの女の子が課題作品に、その折りの光景をちぎり絵にして提出してくれたのです。担任によると「この子は、園長先生のお話があると毎回どんな内容だったかお母さんに話していて、夏休みには一番印象深かったかお話を作品にしようと話し合われたそうです」と。

貼付けている写真がそれですが、ちぎり絵の出来映えもさることながら、ひとりの幼児の心の中に、そんなふうにことばが記憶されているのかと思うと、胸に響きました。

こんなことばは、子どもにはむずかしい、わからない、興味がないだろう。そんな大人の思い込みを消し去り、届くべきことばは届いているという確信を強くしたのでした。

一体子どもにとってことばとは何か。日本語とは何か。子ども扱いが増長していくほど、ことばは縮こまり、痩せ衰えていきます。テレビやゲームにあふれることばの何と軽佻なことか。なのに大人は、小さなスマホの画面にどっぷりつかったまま、子どもに語りかけようとしません。
まず何を語りかけるべきなのか。幼児教育はすべからく生活習慣ですから、まず日常のあいさつから定着させていくべきでしょう。次に「もったいない」のように日本人の心に根ざしたことば、日本文化に育まれた奥深いことばを、意味の理解はさておき、大人は真摯に子どもに伝えるべきではないでしょうか。

また誰にどこで語りかけるべきか。むろん相手はクラスの子どもたちですが、それが明確に意識化されているか、心が向き合っているでしょうか。さらに届けたいことばであるほど、TPOといった環境もたいせつになります。

ちぎり絵という表現があったから、たまたま女の子の思いが発現しましたが、ほとんどの場合、それは小さな胸に長く仕舞われたままです。幼少期とはそういった良質なことばを身体一杯にストックしておく季節なのでしょう。やがて時が来て、自分の人生において巡り会いがあれば、その封印は解かれ、新たな意味理解を伴って出会いなおすのです。

ほんとうにことばが光るのは、その時なのかもしれません。

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