幼児教育の質とは。集団の中の個の育ちを考える。

 どうやら2019年からの幼児教育無償化も本決まりのようで、この1年、子育て支援に加えて「幼児教育の質」がたいそう取り上げられるようになりました。
 いままで「教育の質」「保育の質」というと、設置基準とか職員配置とか、法令で定められた物理的環境をいったのですが、それが幼稚園教育要領等の改定と合間って、さらに教育そのものの中身に踏み込んだ見方、捉え方をするようになりました。たいへん望ましいことです。
 質の担保にはそれを測る評価軸が必要ですが、幼児教育は数値による成果が出せません。テストの点数とか偏差値の世界ではないので、だからその過程、子どもの発達のプロセスをどう観るかがとても重要になります。
 全国学力テストがあるように、テストの結果は一律に評価できますが、幼児の発達プロセスなど十人十色で、どれが優れているとなかなか判断できるものではありません。逆にいうと、一律ではなく、一人ひとりをたいせつにじっくりと見ていくところに幼児教育の真意があるのであって、それは評価者である先生がどれだけ丁寧に子どもを見ているかにも依るものだと思います。

 さて、総幼研の教育は集団教育であると折あるごとにお伝えしてきました。日課活動にせよ体育ローテーションにせよ、「クラス集団が互いに響きあう共振の関係は、何よりも仲間意識や連帯感、そして信頼関係を育み、それを土台にたくましい個が育つ」とお話してきました。集団を優先するのであって、個人にとらわれない。個のため集団の活力を育むことをねらいとしてきました。
 もちろんこれは個を軽んずるとか、個々の発達を重視しないということではありません。まず子どもの仲間と共に同じ活動に親しみ、打ち込み、それが個の集団に対する安心感、信頼感となって、さらに躍動していきます。「ひとりでできないことも、みんなとならできる」のです。
園は家庭ではありません。また先生はお母さんの代わりではありません。30人という子ども集団をクラスという大きな下絵にして、そこから一人ひとりの子どもの姿を引き立たせ、その輪郭を縁取りしているのです。

 集団による日課活動の中にもそういった個別の関係が浮き立つ時があります。たとえばひとりの子どもが名前カードにこたえるとき、また体育ローテーションで、跳び箱やトランポリンと跳ぶとき、先生と目を合わせ、表情を交わし合う、個別の関係は短い時間であっても、濃密で心地よいものであるでしょう。それを一対一の「個別指導」ではなく、集団の交流の中から際立たせていくのが、先生の力量でもあるのです。間違っても数をまとめて、効率的に済ますためのものであってはなりません。園にせよ、クラスにせよ、子どもが大好きな集団だからこそ生まれる個のよろこび、育ちをたいせつにしなくてはならない。そう考えるのです。

 先週のある日の午後、パドマ幼稚園の全クラスを巡回しました。様々な自由あそびあり、器楽のパート練習あり、個別の活動があふれていました。紙細工や墨絵、楽器演奏などを集団活動とは呼べないが、確かにそれによって育まれた個の力の発揮がありました。上手下手ではありません。紙細工ひとつとっても、ハサミを使って精緻に作り上げるごとに、そこにはいきいきとした個人の表現力や思考力の芽生えが生まれている。そう感じたのでした。
 たとえば仏教教育の目的が、やさしさやかしこさを育むことで、般若心経を唱えることではないように、日々の教育実践というものそれ自体でなく、そこから育まれる人格や能力といったものとしてどうとらえていくのか。あるいはそれをどう言語化、見える化していくのか。「幼児教育の質」にこたえるには、いま一度、長い射程で子どもの発達を見直していかねばならないと思います。

 この1年、たいへんお世話になりました。どうぞよいお年をお迎えください。

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