幼児教育の社会的プレゼンスを上げなくてはならない。

生まれて間もない子どもの成育は、親だけでは万全ではない。家庭という内部と、幼稚園なり保育園という外部があって、はじめて発達の両翼が揃う。子は、生まれて以来慣れ親しんだ親元を離れて、園という世界に出向き、そこで生涯初めての他者と出会う。他者とは、ここでは、同じクラスの仲間であり、そして園の先生である。恐らく、それは私たちが思っている以上に、子どもにとって衝撃的な出会いであるに違いない。

 だが、幼稚園の教師など、世間ではちょっと高級な子ども相手くらいの認識なのかもしれない。子育て支援ばかりがもてはやされる一方で、お受験や英語レッスンなど目が飛び出るほど高額な幼児教育もある。勘違いしてはいけないが、前者は託児、後者は市場であって、どちらも教育の本質とは異なる。だが、世間ではどれも大同小異の扱いであって、逆にいえば、幼児教育の論理や実践体系がそれだけまだ脆弱だからだろう。

 園生活は子どもにとってまことに衝撃な出会いであるにもかかわらず、実際の園に対する社会の認識は決して高くない。まして、子どもはこちらの事情など忖度してくれず、近頃は親、家庭とのコンタクトにも大きな時間を割かねばならない。園の先生も並はずれて多忙なのだ。

 学ぶべき論理や実践が貧しく、その上、学びに当てる時間も極端に乏しい。毎日の職務に追われ、その日一日を過ごすのに精一杯で、とても長期的なビジョンや自身の学習プランなど組み立てる機会などない。何とかしなくてはと思う園長は少なくないが、現実は、「子どもが好き」という彼女たち(先生の多くは若い女性たちだ)の熱意に頼んでいるというのが実情ではないか。

もっと、幼児教育の社会的プレゼンスを上げなくてはならない。もっと先生の待遇や環境を改善しなくてはならない。また、それにふさわしい高い知性と豊かな感性を、いつも学び続けなくてはならないと思う。それが難しいとされるのは、どこに問題があるのか、私にとって「少子化」以上に重大なことだ。

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