訂正する力。 総幼研を内部からどう見直すか。

■異変ぶくみ?の公開保育
2月早々に、恒例のパドマ幼稚園の公開保育がありました。コロナ禍で一回だけお休みがあった以外は、総幼研の「原点」を見学していただく趣旨で、毎年続けてきました。
しかし、このたびは異変ぶくみ? な公開保育であったかもしれません。日課の途中でそのまま俳句づくりに展開したり、体育ローテーションのメニューを子どもたちが提案したり、プリントの最中で関連した経験のために保育室の外へ出かけて行ったり。いつもは「規律正しく整然とした」パドマの保育が、一部の方にはなんとも乱雑に見えてしまったことでしょう。
これについては、事前にご案内のパンフレットでも、また前日にも私から詳しくお伝えしていたように、当園の現在の「じぶん主体の保育」の試行錯誤をご覧いただくことが、今回の趣旨であったからです。普段は、定番の日課が当園の真骨頂です。
浅井拓久也先生の総括講演もなかなか刺激的でした。「総幼研は、設定保育と自由保育の中間をいく<両利きの保育>を目指せ」という大意でしたが、果たして総幼研教育は「硬い定型的な保育」なのかどうか、議論する余幅はたくさんあると感じました。
そういう意味で「異変ぶくみ」と述べたのですが、むしろだからこそ見えてきた総幼研活動の特色や、そこに込められた主体性を再認識する機会となったのではないでしょうか。異なる他者や異なる視点から照射した時、総幼研内部からは見えてこなかった可能性が透けて見えると、私は考えます。

■「外部」としての主体性の保育
話は変わりますが、ベストセラーの新書「訂正する力」(東浩紀・著)にこういう表記があります(ここでは「訂正」ということばを、「変化」に読み替えてみてください)。
「(訂正する力とは)過去との一貫性を主張しながら、実際には過去の解釈を変え、現実に合わせて変化する力、過去と現在をつなげる力です。持続する力であり、聞く力であり、記憶する力であり、読み替える力であり、<正しさ>を変えていく力でもあります」
著者は日本の歴史や政治、ビジネスまで縦横に語るのですが、そこまで視野を広げずとも、しかし「訂正行為の梃子となる<外部>が必要」という指摘は重要です。過去を無自覚に鵜呑みにするのではなく、現在から読み直し、脱構築していく。いまの総幼研でいえば、「主体性の保育」が「外部」であり、そこから総幼研の内容を「訂正(変化)」しようとする試みではないでしょうか。これは、昨年以来頻繁に開催されている小委員会然り、専門部会然りです。
総幼研が変わってしまうのではありません。総幼研に対する(特に内部の)見方や考え方をゆっくりと変えていくのです。それには、まず「外部」を受け入れ、総幼研との「協働」や「対話」をくり返し、試行錯誤しながら、着地点を見出していく。このたびのパドマの公開保育は、そういうねらいを含んでいたのです。
これはあくまでパドマ幼稚園の試行錯誤です。総幼研の日課もローテーションも何ら変わるものではありません。それを分厚い基盤として、何を「訂正し/しないのか」。総幼研40周年に向けて、まことに創造的な議論が生まれると期待をしています。

Pick UP

コラム・レポート

PAGE TOP