震災5年目。人間の基礎基本とは何かを考える。

 今日、東北の大震災から5年めを迎えました。被災地ではいまなお、不自由な生活を余儀なくされている人も多く、その傷跡は深く人々の心に残ったままです。

 5年を経て、「教育」とは何だろう、と改めて問わないではいられません。自然の脅威を前に、人類の叡智と讃えられたものがことごとく瓦解していった。われわれが積み上げてきた知識や技術、学歴などといったものはまことに小さなものであって、非常時に活かされるのは、その人の内部に埋め込まれた人間性の根源でしかない、とも感じます。  
 それは、震災になぞらえて申し上げれば、誰かの痛みに反応できる「想像力」、痛みを共有できる「共感力」、あるいは痛みに対処するという「支援力」のようなものでしょうか。
 
 「幼児教育とは人間の基礎基本の教育」と、幾度も唱えてきました。では、基礎基本とは何か。私は、それが「共同意識を育むこと」であると強く認識しています。
 人間はひとりでは生きていけない。人は皆助け合わなくてはならない。人と人が群れているだけならそれはただの塊ですが、そこに共通の思いや願いが宿すことで、共同集団となっていきます。被災地でしばしばいわれた「共助の精神」です。
 仲間とのよい共体験があれば、他者への信頼が生まれます。誰かのために生きるという利他心が育まれていきます。人間に生涯とは、つまりその誰かと出会う旅のようなものではないでしょうか。幼稚園・保育園とは、そういう人間の基礎基本を耕す、大きな心の田園なのです。

 大震災や原発の脅威に直面して、私たちは日常を忘れがちです。非日常の対策ばかりが目立ちますが、本当にたいせつなことは平時の対策であり、それは毎日のさりげない生活の情景の中にあるのだと思います。
 今日も園は穏やかな陽に包まれています。先生と、友だちと、遊ぶ子どもたち。
友だちとのかかわりをたいせつに。仲間と生きること、助け合い、支え合うこと。震災の日にそんな原点に思いを馳せています。

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