第5回 教育実践と文化的文脈、外に学んで、内を考える。

「文化を映し出す 子どもの身体」
レイチェル・バーク 、ジュディス・ダンカン著 福村出版刊

日本はフレーベル以来、世界の新しい教育実践を次々参照してきたが、ニュージーランドの幼保統一カリキュラム「テファリキ」は、単なる外国事情以上に大きな関心を覚える。本書はニュージーランド人であり、北海道の幼稚園教諭経験のあるレイチェル・バークらによる日本とニュージーランドの幼児教育の諸相を比較文化論的に論じたものである。本書では教育実践を単に比較するのではなく、それが「その国の」文化的価値観においてどのように位置づく行為なのか、という点に立ち戻ることを忘れさせない。つい、それぞれの国の文化的文脈を離れて「日本でもこれをやろう!」という視点で情報の受容をしてしまいがちな読者に、フーコーらの「身体論」を介した構造分析を援用し、絶えず抑制をかける。

著者は、自身の幼稚園教諭や母親としての体験、いくつかの園の保育者への調査をもとに、両国の子どもと保育者から見た様々な状況を具体的にエピソードで取り上げているが、それは大きな枠組みで見ると「子どもの身体」にかかわる保育者の取り扱いの姿の分析である。本書で描かれる日本の保育場面には、一見すると矛盾のある場面が選ばれている。たとえば、日本の保育者は子どもが裸になって過ごすことに、子ども時代への郷愁や理想の姿を見出し、特に裸で泥や水で存分に遊ぶような「野性的」なあそびを価値づける一方で、同日に「エプロン」を着用して、衣服を汚れから守りながら机と椅子に座り秩序ある空間で絵画や製作をする場面。また「朝礼」「課題」など、集団で静かに一斉に行い「社会性」「協調性」に価値が置かれる一方、子どもたちが大声を上げながら走り回るような規律のない状況をも「元気がある」と肯定的に容認している場面など。これらは総幼研に限らず、日本の保育現場で日常的ともいえる場面だが、ニュージーランドの保育観というレンズを介するとそれは、大いなる矛盾を抱えたダブルスタンダードの保育観に映る。

しかし、これらを著者は日本の文化的価値観にも据えている。たとえば、子どもが騒いだり大声を出したりすることは、日本における「がんばる」という価値観と結びつきを持つ「元気」な状態であり、個人の「がんばり」が集団の規律のために暗黙のうちに必要とされており、「がんばる」姿勢の獲得には、身体的な反復行為、多少の困難への挑戦が必要とされ、それらの表出が子どもの「騒がしさ」にも連なることを見て取り、子どもの騒がしさを「規律」の対極ではなく、規律獲得の萌芽でもあるとも分析する。

本書は、相容れない違和感を単純に紹介する研究書ではない。ニュージーランドという幼児教育界で最も注目される国の最新実践を学びながら、実は足下にある歴史的構造の部分から日本の幼児教育を「再現する」試みだ。グローバル化が進むいま、いずれ総幼研も引き受けなくてはならない課題だろう。

秋田光彦

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