第14回 幼児期の手による経験と、触覚の重要性。

「手の倫理」
伊藤亜紗著 講談社刊

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授を務める、売れっ子の美学者による最新作である。ケア、子育て、教育、性愛、スポーツ、看取りなど、人生の様々な場面で、私たちは「さわる」「ふれる」というような、接触を介した人間関係を他者と結んでいる。その際、触覚の主要な役割を担うのが手だ。本書は、様々な場面における手の働きに注目しながら、そこにある触覚ならではのかかわりのかたちを明らかにしようとするものである。内容は多岐にわたるので、ごく一部だけ紹介しよう。
著者は、様々なコミュニケーションの特徴を「伝達モード」と「生成モード」に区別する。「伝達モード」とは、発信者の中にメッセージがあり、言語などを通して、その意図を一方向的に相手に伝えるものである。能動と受動の役割が明確であり、多くの人が「コミュニケーション」と聞いてイメージするのはこちらだろう。では「生成モード」とは何か。それは双方向的で、やり取りの中で生まれていくようなコミュニケーションのことである。
たとえば、日常のおしゃべりの中でも、自分がAというつもりで伝えたことが、相手にとってBという別の意味をもつことがある。「話がズレる」といってしまえばそうなのだが、相手にちがう風に話を受け止められて、どんどん話題が予期しない方向に移りかわるという経験は誰しもあるだろう。そこで話されているのは最初に話し手が意図した内容ではなく、その場のやり取りの中で生まれたものなのだ。

触覚ではどうかというと、「さわる」は「伝達モード」的で、「ふれる」は「生成モード」的であるという。一方的に相手のからだに「さわる」のに対して、「ふれあい」の中に起こっているのは、共感を持ちながらも相互に交渉したり微調整したりするような、動的なプロセスである。こうした関係の中で能動と受動の役割はあいまいになり、互いが一体化しないまでも融和的な関係が生まれる。本書はこの後に「目の見えないランナーと目の見える伴走者」を取り上げ、1本のロープを介した彼らの触覚によるかかわりを「共鳴」として描き出すのだ。

ちなみに本の冒頭では、幼稚園の創始者であるフレーベルについての言及がある。フレーベルは、子どもが身の回りの石や木を手に取り、触覚によって物の性質を理解していくことを重視した。しかもそうした手による経験は、子どもが「自分自身を知ること」に関連するとまでいっているのだ。モンテッソーリ教育で、触覚の洗練が知的発達の基礎になるとされるのはここからだろう。幼児教育においても、五感のうち、触覚がいかに重要なのかを改めて考えさせられる。

秋田光彦

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