日本の教育の「実力」を、データから読み解く。

■自信がないから一層がんばる
最近読んだ「日本の教育はダメじゃない」(ちくま新書)は、多くの日本人が思い込む「日本の教育はダメだ」観を豊富な国際比較データで問いただして痛快でした。曰く勉強に興味がない、知識がない、学力格差は大きい、いじめ・不登校の多発等々、根強くある私たちのバイアスを一つひとつデータを駆使して覆していきます。日本の教育のレベルの高さや現場の教師たちのがんばりをきちんと評価しているところは清々しくもありました。
たとえばよくいわれる日本の子どもの自己肯定感の低さについてはこうです。そもそも東アジア諸国では一般に欧米の子どもに比べ、自信のある子どもの割合は低く、その一方学力は高い傾向にある。それは、過剰な自信に溺れるのではなく、自己に対し批判的な目を向け続け、(自信を持てないからこそ)一層がんばることと関連があるのではないかと、いうのです。つまり、現在の状況に楽観的になれないことが、自己成長への動機、また成績のよさにつながっているわけです。本書にはその背景として、キリスト教の「予定説」と仏教の「修行」という人間観の違いがあるという指摘があり膝を打ちましたが、ここではそれは置きましょう。
日本の教育の優秀性は、「世界をリードする」とOECDも絶賛です。これまで散々批判されてきた、先生の指導による一斉授業は結果的に(生徒が大人になってから)世界1位の創造性を担保していることもデータは語っているのです。

■「ニッポン礼賛」ではなく
本書の著者(共著書)は、名門・台湾大学で教える日本人と、京都大学で教える英国人研究者です。2人とも世界銀行や国連でも働いた国際派で、本書の中でも有名なPISAだけでなく、TIMSS(学力の理解度調査)、PIAAC(成人力調査)などの国際比較データも扱って総合的に論じています。
ここでぜひ留意しておきたいのは、著者も述べていますが、こうした日本の教育の現状について教育学研究者もメディアも概ね批判しかしないという点です。メディアは読者獲得のため世間の不安を掻き立てるし、研究者は近代以降の欧米に対する「キャッチアップ精神」が未だに根強いから、といいます。「日本の教育はダメ」と否定する前に、なぜその実力を他国と比較しながら客観的に考えることをしないのでしょうか。詳しくは本書に譲りますが、すでに「日本が効率よく西洋化する方法を考える時代は終わった」のです。
似たようなことが日本の幼児教育にいえるのではないでしょうか。とかく欧州の伝統的あるいは先進的な幼児教育(そのすばらしさには敬服しますが)の看板だけ借りてきたような安易な現場もないとはいえません。「非認知能力」も欧米から移入されたものでなく、昔から日本の教育や子育てが大事にしてきた忍耐心や克己心の再認識として考えられないでしょうか。
もちろん安直な「ニッポン礼賛」に走るのではありません。集団や規律、忍耐や持続といった日本の教育の特徴を、ただ鵜呑みにするのでなく、国際レベルで考え直す時を迎えていると思うのです。総幼研も同じではないでしょうか。

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