人材ではなく、人間教育。

■教養ある人間を育てる
昨年10月、世界銀行が「人的資本指標(HCI)」を発表しました。人材育成に向けた投資が適切でないと、国民の生涯所得の半分以上を失うことになるそうで、「労働生産性」の向上のための教育強化の提言がありました。ここでも、国際比較の学力調査が行われ、シンガポール、韓国、日本の成績は図抜けているようです。
話はかわりますが、夏にドイツを訪問して、いくつかの幼児教育者や大学研究者と交流して強く感じることがありました。それはこの国では、人材育成を教育の第一義としていないという点でした。詳しい説明は端折りますが、ドイツには独自の教育制度があります。小学4年生の修了段階で、大学準備教育であるギムナジウムに進むか、実科学校や基幹学校へ進むか、進路を決定します。大学は入試もなく、学費も無料だが、就職の指導など一切ない。日本のような職業資格のための学科はなく、英語やラテン語で教養を学ぶのです。即戦力になる人材ではなく、まずは教養ある人間を育てようとしている。そこに違いを感じたのでした。
むろん文化差はあって当然なので、日本の教育の素晴らしさは承知しています。人口減少時代であるから国際的な人材力を高めてこそですが、それにしてもAⅠ脅威論もあってか、少しでも早く、少しでも優れた、早期人材育成論が幅を利かせていないでしょうか。幼少期からお金の価値を教える金融教育があるそうですが、私には随分先走った印象しかありません。

■あそびこそ人間の本性
中学や高校には別の価値観があるにせよ、留意したいのは、幼少教育についてです。幼児教育は急いで人材(役に立つ人)を育てるところではない。幼児は「将来役に立つ」ためにではなく、「いまが楽しいから」遊んでいるのです。ホイジンガのいう通り、人間の本質は「遊ぶ」ことにあります。むろんあそびとは刹那に耽ることではありません。文字通り、夢中になる、没頭する、そういう喜びがやがて仲間や社会への共感をはぐくみ、思いやりや協調性を発達させます。遊びながら、学ぶのです。こういった人間性の基盤(非認知能力のはぐくみ)があって、将来の学力、認知能力が育つことが明らかになっています。
総幼研活動も同じです。多種多様な教材にあれこれ目移りするのではなく、それぞれの活動の本意に着目しながら、いまなぜそれが適切なのか、子どもの快を引き出しているか、たえず目的と照らし合わせながら、見直してほしいのです。それはいい換えれば、活動を通して人間の原初の姿を問うことです。幼児教育とは、そういう大きな人間観に裏打ちされたものでなくてはならないと思います。
今年、世間を騒がせたことばに「生産性」がありました。人材力や生産性といったことばが、人間教育の本質を見誤らせてはならない。自戒を込めて強くそう思うのです。

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