コロナの時代にあって、なぜ総幼研教育なのか。

■パワースピーチ
危機の時代であるほど、トップの語ることばは貴重です。ただ、ひとことが万民の胸を打ち、歴史を動かすことがあります。リーダーのスピーチによって、人々の考えと行動が大きく変化するのです。
今回のコロナ禍においてもそうでした。3月18日ドイツのメルケル首相のテレビ演説は、ドイツ国民ならず世界中の人々の心をつよく揺さぶりました。
「パンデミックが私たちに教えるのは、私たちはみな傷つきやすいということ。気遣いある他者の行動にどんなに依存しているかということ。しかし、それはまた、私たちは共同の行動をとるなら、自分たちを守り、互いを強めることができるということです」(一部)
連日記者発表を続けた米国ニューヨーク州のクオモ知事もそうです。危機に直面する人々に届けるスピーチでありながら、リーダーのことばには力みがありません。自然体であるが、揺るぎない確信が据えられている。不安と疑念にざわついた人心に、ことばの力によって世界の安定が蘇るのです。これはテクニックやパフォーマンスでできるものではありません。「人間としての存在をかけ、人間を磨かなければ、パワースピーチはできない」(橋爪大三郎『パワースピーチ入門』)。深い敬意と共に、それに強く同意するのです。

■総幼研教育3つの強み
リーダーのことばの力は、世界の首脳に限ったことではありません。自粛や中止、延期、分散など非常事態が続いた園トップのことばにも同じことがいえます。安全をいかに確保するか、園生活をどのように維持するか、そして、緊急事態を経たいま、自園が取り組む総幼研教育の重要性、必然性をくり返し述べることではないでしょうか。
それを私の主眼として、3つの観点から述べておきましょう。
ひとつは総幼研教育の「習慣性の継続」です。当園では、マスクや防護ビニール使用など制約がありながらも日課活動を続けていますが、日常の回復までが長期化するいま、「日課」(毎日決まってすること)の習慣性を再認識しています。行事の中止や変更が余儀なくされる中、言語日課、音楽日課、体育日課という「日常の様式」があることは最大の強みといえるでしょう。
次に「体力の保証」です。非接触社会では、これまで以上に外出や戸外活動が敬遠され、子どもの体力維持の機会が奪われていきます。子どもが安心して身体活動に親しむ環境には、通い慣れた園が最適ですし、体育ローテーションをはじめ、旺盛な「動き」を担保する総幼研教育の強みがあります。
そして3つ目は「集団力の再生」です。これからは、つながりやふれあいが避けられる社会になるといわれています。幼児は生来他者と集いたいという欲求(集団欲求)を持ちますが、それを雑多な群れではなく、どのように質の高い集団、共同体としてはぐくんでいくのか、「みんなとならできる」総幼研教育の本領が発揮される時と思うのです。
日常の維持が精一杯でとても総幼研教育などできない、という声もあるかもしれませんが、私は逆に、いまは「コロナ時代にあってなぜ総幼研教育なのか」を語りかける適期であると考えています。本物は、危機にあって真価が問われるものなのです。
それを職員や保護者にどういうことばで、語るのか。人々の考えや行動にどのような効果を及ぼすのか。パワースピーチは全て話し手の力量にかかっているといいますが、私自身そこに至るまでにはまだまだ時間を要しそうです。

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